きそにっき

アウトプットします。

経験則と偏見だけで語る発声(1)

僕は中学から9年間合唱を続けているが、未だに発声がとても苦手である。テナーなのに、上のGの音が安定してフォルテで出せない。

しかし、個人的に今年度は発声に関してなかなかのブレイクスルーがあった年だと思っている。それも、ちょっとやり方を変えただけで劇的に良くなった。

今回はそんな自分のための備忘録も兼ねて、僕が思う良い発声について書いていく。

 

いい発声をするためには「息」「声帯」「響き」の3要素がちょうど良いバランスで相互作用し合っていることが大切、と僕は思う。

今回は1つ目の「息」について。

 

息の使い方に関しては、ほとんどの初心者はかなり混乱するだろう。

合唱ではよく「息を流す」という表現を使うのだが、それと同時に「お腹に力を入れる」ということもよく言われる。この二つは一見両立することが難しい。お腹に力を入れたまま息を吐くと、思うように息を吐けない。ここでジレンマが発生してしまう。

 

実はこれ、「息を流す=息をたくさん吐く」ことだと思っている人が多いために起こるジレンマであって、本当はそうではないのである。

 

結論から言うと、「息を流す」ということは「息を一定の強さで長く吐く」ということである。

息を一定に長く吐くことによって、伸びやかでレガートのある発声になる。逆に息を短く強く吐くと、声帯がそれに対応しようとして一気に閉じ、喉声っぽくなってしまう。

 

さて、合唱では何のためにあんなに腹筋に力を入れさせられるのか。

それは、腹式呼吸において息をコントロールする役割を持つ横隔膜を支え、急にたくさんの息が出ないようにするためである。

もっと細かく言うと、

①息を吸う時に、横隔膜を下に広げるように吸うと、下腹部が横隔膜に押されて広がる。

②この広がった下腹部に力を入れ、それを維持したまま息を吐き始める。

これを極めると、良い息の吐き方になる。

 

先ほども言ったが、息の使い方に関しては勘違いしている人がとても多い。多くの初心者が、お腹を支えてるのに息をたくさん吐こうとする、という大きく矛盾した歌い方をしている。結果、必要以上に力が入って変な発声になってしまう。

指導者が天下り的に「腹に力を入れろ」と教えてるのも、大きな原因の一つである。特に大学合唱で教えている学生のなかには、わけもわからないうちにそう指導している人もいるのではないか。

実際、僕もこの矛盾の解決にたどり着くまでには8年かかった。本を読むかネットで検索すればすぐにわかる話ではあるのだが…

 

いわゆる「支え」をマスターするには結構時間がかかるが、まずは「息をたくさん吐こうとしない」と意識するだけで大きく変わるはずである。最初のうちは音量が出なくて不安になるかもしれないが、慣れればそのうち音量は付いてくる。

ぜひ、春からの合唱に活かして欲しい。

 

音楽は理論か感覚か

先日、一つの演奏会が終了した。僕はそこで僭越ながら指揮を振らせていただいた。

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僕の母校である札幌北高校合唱部の定期演奏会は、毎年現役の高校生とOBそれぞれの単独ステージ、そして現役・OB合同ステージで構成されている。僕はこのうち、OBステージである第2ステージを担当した。

この第2ステージ、実は練習回数が他のステージに比べて極端に少なく、しかも毎回練習に参加できるOBはほぼいない。この環境で、音がほぼ取れていない状況から演奏会で発表できるまで仕上げるという、かなり無茶なことをやっているのだが、OBの皆様方の技量が非常に高いので、毎回ギリギリで完成している。

 

僕は3月頭に札幌に帰省し、6回練習をつけたが、正直6回中5回はあまりいい練習ができなかった。曲の難易度もそうだが、僕が指導に関して色々勘違いしていた部分が多かったことに気付かされた。

5回目の練習まで、僕は楽譜に書いてあることを忠実に再現しようとしていた。「ここはf」「ここは♩=76」など、指示も出来るだけ抽象的な言葉は使わずにやっていた。

これだけでも百戦錬磨のOBたちはついてきてくれたが、先輩からのアドバイスなどもあって、前日の練習で「ここはかたく」「ここは内に秘めるように」など、少し指示を抽象的にしてみた。すると、驚くほど音楽が変わっていった。まさに、音が生き物のように動いてくる瞬間であった。僕はそれに感嘆するとともに、「最初からこうしていれば…」という後悔の念も覚えた。

 

最近、「感覚に頼りすぎるのは良くない」という音楽指導論をよく聞く。これは、音楽の感覚というものは個人差がとても激しく、あなたの感覚が他の人に当てはまるとは限らないという理由からである。僕もある程度それに納得し、最初のうちは感覚に頼らない練習をしていた。

では今回はなぜそれがいけなかったのか。それは、僕がこの考え方を誤用していたからに他ならない。

 

理論によって統一できるのは、あくまでも「基礎的な」部分だけである、と僕は思う。例えば初心者が、発声はどこの筋肉が動いているとか、第5音は高めにとるだとか、クレッシェンドは正の加速度的に大きくするだとか、いわゆる音楽をする上でのセオリーを体の中に組み込むために、理論は大変重要な役割を果たす。

しかし今回僕が指揮したのは初心者ではなく、百戦錬磨のOBだった。自分が進めたい方向を感覚として伝えさえすれば、あとは歌い手側がそれを自分なりの理論体系の中で消化し、アウトプットしてくれる人たちだった。しかも、そのアウトプットは、ほとんどの場合で理論で固めた音楽を超えていた。結果として、この合唱団に対しては感覚的な指導の方が伝わりやすかったし、理論以上の効果を得られたのである。

 

そもそも「暖かい」だとか「やわらかい」などの言葉で表現される音の感覚は、大きさ、速さ、音色、ハーモニーなどの要素が複雑に絡み合っており、理論で全てを解説するのはとてつもなく大変である。1口に「f(強く)」といっても、音色が違えば全く違うfが存在する。

しかし、それらを包括して一気に伝えてくれるのが「暖かい」「やわらかい」などの感覚的な言葉である。 もちろん感覚は個人差が激しいものの、ある程度音楽の経験値がたまってくると、不思議と全ての要素が揃ってくる。感覚的な言葉は、不便なようで実は非常に便利な言葉だったのだ。

 

幸い、このことに気づいたおかげで、本番はなかなかいい演奏ができた。練習は反省ばかりだったが、この経験は僕の音楽観に新たな知見をもたらしてくれた。みんなも積極的に指導者を経験してほしい。

 

最後に、僕のポンコツな練習に最後まで付き合ってくれて、非常に多くのアドバイスをしていただいたOBの皆様や先生方には、改めて感謝を申し上げます。ありがとうございました。

慣れ

僕は今、舞鶴へ向かう電車の車内にいる。

今日から、地元でとある目的を果たすために長期帰省。各方面に頭を下げ、今まで持ったことない量のパンパンの荷物を抱えて、舞鶴のフェリーターミナルへ向かっている。電車では席を確保できたので、今は束の間の休憩。

 

さて、いた時間帯がちょうどよかったこともあり、僕は京都駅で夕食を食べることを画策していた。しかし、京都駅中に存在する店は往々にしてお洒落な店が多く、2つの大きな荷物を抱えたおっさん顔が1人で飯を食っても違和感のない店は、10Fの拉麺小路ぐらいしかない。僕は切符を買って迷わずそこに直行した。

拉麺小路へ行くのは恐らく5〜6回目。毎回違う店でラーメンを食べている。そもそも京都駅は家から遠い上、特に大好きな店があるわけでもないのだが、なんとなくサイクリングで京都駅へ行き、ラーメンを食べて帰る、ということが時々ある。

 

拉麺小路を一周してまず衝撃を受けるのは、京都代表店「ますたに」への異常な行列と、その隣にある大阪代表店「あらうま屋」の強烈な豚骨臭である。僕はどちらにも(少なくともこの支店には)行ったことがなかったが、荷物運びでヘトヘトだったので、ますたにに並ぶ余力も、あらうま屋に行く勇気も残ってなかった。

結局選んだのは、徳島に本店を構える「ラーメン東大」。なんだか胸がざわつくネーミングである。

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肉増しラーメン(¥850)。卵は最初から乗ってるものではなく、卓上で無料で提供されているものである。

スープは豚骨醤油。しかしあっさりと飲みやすく、それでいてしっかりと豚骨の主張を感じる味である。疲れた僕の胃にはかなり染み渡った。

具の肉もかなり美味しい。メンマがかなり濃い目の味付けだが、もやしが味薄めなのでバランスがとれていると思う。

 

東大のラーメンを食べながら、ふとこんなことを考えていた。

先程少し名前を挙げた「ますたに」、僕は京都に来たての頃に1度だけ本店に行ったことがある。味の詳細は覚えてないのだが、これがただただ口に合わなかった。何故だろう。京都駅に支店を構えるほどの有名店である。美味しくないわけがないと思うのだが…

実は、同じような経験をした店がもう1つだけある。天下一品本店だ。こちらも京都に来たての頃にわざわざ白川通を歩いて登って訪れたのだが、当時はあの独特なこってりスープを全く受け入れられなかった。しかし、京都にいるうちにこのスープの美味しさを覚え、今では当然のようにこってりを頼んでいる。

考えてみれば、京都に来てあっさりしたラーメンを食べることはかなり稀だった。一乗寺のラーメン店街では、豚骨だろうと鶏白湯だろうと魚介だろうと、とにかくこってりしたラーメンばかりが出てくる。京都に3年いる間に、僕はどんどんこってり味に慣らされていったのだ。

しかし、ますたにだけは何故か再来店していない。京都駅支店は混んでるから行かないにしろ、京大からそれほど遠くない本店に行かないのは自分でも意味がわからない。京都に来て3年、多分ますたにの良さもとっくにわかっている段階だろう。京都に戻ったら真っ先にますたにへ行くことを心に誓った。

 

長々と書いてしまった。ラーメン東大は正直かなり美味しかったので、今後拉麺小路に訪れる際はここが僕の定番となるかもしれない。

ちなみに、我らが北海道代表の「白樺山荘」はいつ見てもスカスカで少し心配になる。ぜひこの店も忘れないでおいてほしい。

僕は、服を買うのが苦手だ。

当然のように、小中高と服は親に買ってもらっていた。しかも親がかなりの時間をかけて、ああでもないこうでもないと服を選ぶので、僕にとって服を買いにいくというイベントはただただうんざりするものだった。さらに、小中高と制服を着用する学校で育ち、私服を着る時間が非常に少なかったことも、自身のファッションへの関心を薄れさせていった。

大学に進学し、下宿を始め、周りに私服がおしゃれな友人が増えたことで、僕もそろそろ自分の服について考えなければいけないと思い始め、幾度か自分の足で服屋にも行ったが、3年間で買えた服は2〜3着程度。他は帰省している時か、親がこちらに来ている時に買っていた。たしかにオシャレへの意識は昔と比べてかなり高まったが、下宿生活によって必要以上にお金にストイックになり、結局服を買うのをためらってしまうので、未だファッション音痴は克服できていない。

 

このような僕の服への消極性のせいで、今日までずっと僕を困らせていた問題が一つあった。それは、ベルトである。

中高と使ってきたベルトが大学2年生の頃に全て寿命を迎え、ユ◯クロで新しくベルトを購入せざるを得なくなった。至って普通の、茶色の合成革ベルトである。

しかしこのベルトが、緩い。穴が5つしか開いてないにも関わらず、1番内側の穴に金具を通してもまだ緩い。前まで使っていたベルトはどこにでも金具を通せるタイプだったので、いくらでもきつく締められたものだが、これはそうもいかない。せっかく裾上げしてもらったズボンがどんどん下がり、裾が汚れていく。

この問題に直面した時、まず思い浮かんだ解決法は「ベルトを切る」という方法だった。中高の制服につけていたベルトはもれなくバックルを取り外し、切って長さを調節していた。僕は、当然このベルトもそうやって調節できるものだろうと思い、バックルの裏を確認した。

そこで僕は愕然とした。

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お分かりだろうか。バックルが外せないのである。

僕は絶望した。なぜ試着をしなかったのか。なぜ前と同じタイプを買わなかったのか。しかし、2,500円ほどを消費して買ったベルトである。新しく買い直すのももったいない。と、ここで僕のファッションへの消極性が発動する。

結局、この緩いベルトを、僕は1年間騙し騙し使ってきた。積極的にシャツを入れ、腹を隠し、ズボンが落ちないように努力した。しかし、それでも我慢の限界がやってきた。

 

何とかしてベルトに新しい穴を開けられないだろうか。この発想に至るまでに1年。相当な時間がかかった。

 

ネットで調べたところ、方法は2つあった。

①ユ◯クロへ持っていき、穴を開けてもらう(無料)。

②100均で穴開けポンチを買い、自分で開ける(ポンチ、ハンマー込みで216円)。

①は流石にないだろう、と僕は即断した。買ってから1年経ったベルトに店頭で穴を開けてもらう、という行為のどこに恥ずかしさを感じずにいられようか。もし店員に対応してもらえなかったら目も当てられない。残された選択肢は②しかなかった。

僕は思いつく限りの近所の100均を漁り、最終的に新京極のダイソーでポンチとハンマーを購入した。そこそこ大きなダイソー店舗じゃないと売っていない可能性が高い。

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パッケージを開けた後の写真で申し訳ないが、左の2つの短い棒が穴開けポンチである。それぞれ直径4mmと5mmの穴を開けられる。

帰宅してすぐ、僕は4mmのポンチとハンマーを手に取り、一心不乱にベルトにポンチを打ち付けた。近隣の部屋から苦情が来てもおかしくないレベルの爆音と振動が鳴り響いた。

 

格闘することおよそ15分。

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開いた。

 

1番右のまん丸い穴である。少し形と位置がイレギュラーだが、気に留める人はいないだろう。

早速試し巻きをした。緩すぎず、キツすぎず、ちょうどいい締まり具合。1年間も僕を悩ませてきたベルトは、ようやく救われたのだった。